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【コラム】チョコレートの文化と歴史

カカオは紀元前から人類と関わり、チョコレートはメキシコからスペインへ運ばれて、長い年月を経て世界中に広がりました。ここでは、チョコレートの歴史をご紹介します。

紀元前 - カカオと人類、5500年もの関わり

チョコレートの原料、カカオは人類と深く長い関わりがあります。エクアドルでは、紀元前3500年からカカオが人によって使われ、メキシコ湾岸沿いでは、紀元前1500年頃にオルメカ人がカカオの栽培を始めていました。「カカオ」という言葉のルーツは、オルメカ人が話していたミヘ=ソケ語「カカワ」にあります。

Mayan people and chocolate

古典期後期の壺に描かれた、宮殿の場面の細部。王が鉢に入った泡立つチョコレートに手を差し伸べている。王座の下にはソースのかかったタマーレを盛った皿がある。
※「チョコレートの歴史」

400 - カカオ豆は通貨だった

アステカ、マヤの時代、カカオ豆は通貨でもありました。通貨の価値を持つほどのものを味わえるのは、特別な人だけ。王族などの特権階級、戦士だけが「力を与える」とする、チョコレートドリンクを飲むことができました。当時のチョコレートは、カカオ豆をすりつぶし、水、唐辛子、とうもろこしなどを混ぜたどろどろの飲み物でした。

1502 - コロンブス、カカオに出会う

コロンブスは、カカオ豆に遭遇した最初のヨーロッパ人です。最後の航海で、偶然、マヤ族の大きな丸太舟(交易船)に遭遇、カカオ豆をひときわ大切に扱う人々を見たコロンブスは、その高い価値を知りました。1545年の記録には「雄の七面鳥はカカオ豆200粒、野ウサギはカカオ豆100粒、熟れたアボカドは1粒」などとあります。

1519 - アステカ帝国の王が愛したチョコレート

スペイン人のコンキスタドール(征服者)フェルナン・コルテスは、アステカ帝国(メキシコ)に到着すると、皇帝がチョコレートを愛飲しているのを目の当たりにしました。当時の回顧録には「カカオから作った飲み物が入った純金の杯が、皇帝モンテスマ2世のもとに持ってこられた」「よく泡立てた上質のカカオが入った大きな器が50杯以上も運ばれ、皇帝がうやうやしくそれを飲んだ」などと記されています。

1521以降 - チョコレートが甘くなった

チョコレートは、聖職者や商人などの往来により、アステカからスペインに伝わったといわれています。もともとは薬として、また滋養のために飲まれましたが、アステカ独特のチョコレートドリンクは、全くスペイン人の口にあいませんでした。そこでスペイン人は蜂蜜を入れて、チョコレートを甘くしたのです。甘いチョコレートはスペインの貴族社会に驚きと感動をもたらしました。次第に砂糖が普及し、チョコレートに、砂糖が入れられるようになります。

1600年代 - チョコレート、ヨーロッパへ

スペインは、チョコレートの存在を100年以上も門外不出にしていましたが、ついに1600年頃にイタリアへ、続いてフランスに伝わります。フランスへは薬として伝わりましたが、1615年にフランス国王ルイ13世のもとに、スペイン国王の娘、アンヌ・ドートリッシュが嫁ぎ、宮廷にも広がったとされています。

Chocolate-house-london-c1708

1708年頃のロンドンのチョコレートハウスの様子。

1657 - ロンドンに「チョコレートハウス」が出現

1650年代にイギリスにチョコレートが伝わると、ロンドンに「チョコレートハウス」ができました。これは裕福な人々や政治関係者が出入りする特別な社交場で、提供されるチョコレートドリンクは非常に高価でした。イギリスでは、次第にホットチョコレートを飲むための棒つきポットや食器が作られはじめ、チョコレートは一般に普及していきました。

1670年頃 - 「プラリネ」の誕生

お菓子としての「プラリネ(プラリーヌ)」は、フランスで生まれたといわれています。ルイ14世に仕えたプレシ=プラスリン公爵のお抱えシェフが、あるとき焼いたアーモンドの砂糖がけを出すと、公爵はその美味しさに大喜び。お菓子に自分の名をつけました。「プラリネ(プラリーヌ)」には、別の意味もあり、ベルギーではのちに一粒チョコレートの総称となりました。「プラリネ」は、砂糖とローストしたアーモンドやヘーゼルナッツをキャラメリゼして磨砕し、ペースト状にしたもののことでもあります。

1828 - <チョコレートの4大発明(1)> オランダでチョコレートパウダーが誕生

オランダ人化学者のクンラート・ヴァン・ホーテンは、1828年、カカオから脂肪分(カカオバター)の大部分を分離し、チョコレートパウダーを作ることに成功しました。これが現在の「ココア」です。「ダッチング」という方法でアルカリ処理をし、チョコレートパウダーは水と混ざりやすくなりました。

1847 - <チョコレートの4大発明(2)> イギリスで 食べるチョコレートが登場

ヴァン・ホーテンの発明を受け、イギリス人のジョセフ・フライが、砂糖入りのカカオパウダーをカカオバターに混ぜ、板チョコレートをつくりました。これが世界最初の、本格的な「食べるチョコレート」です。1847年に、ようやくチョコレートは飲み物から食べものになりました。

1850 - 偶然、ガナッシュが生まれる

伝説によると1850年のパリで、ある見習いの菓子職人が、溶けたチョコレートが入ったボールにミルクを誤ってひっくり返してしまいました。上司のシェフは「ガナッシュ(役立たず)!」と怒鳴り、なんとかしようとボウルの中身を混ぜ合わせ、チョコレートを味わってみました。すると思いがけない美味しさだったのです。彼はこのなめらかなペーストを「ガナッシュ」と名付けました。今ではガナッシュは、チョコレートに生クリームを混ぜたもののことです。

1867 - <チョコレートの4大発明(3)> スイスでミルクチョコレートが誕生

1867年、スイス化学者のアンリ・ネスレが粉ミルクの製造に成功すると、1879年、同じくスイスのチョコレート製造者 ダニエル・ペーターが、チョコレートに粉ミルクを加えてミルクチョコレートを完成させました。世界初のミルクチョコレートの誕生です。

1879 - <チョコレートの4大発明(4)> スイスでなめらかな口どけに

1879年、スイスのルドルフ・リンツがコンチングマシン(チョコレートの粒子を細かくなめらかにし、風味よく仕上げる機械)を発明しました。それまでは粒子が粗く、ざらざらした口当たりだったチョコレートは、現在のように、とろけるようなクリーミーなテクスチャーになりました。

1926 - ゴディバがブリュッセルにオープン

1912年、イタリアにルーツを持つスイス人のジャン・ノイハウスが、ベルギーで「プラリネ(プラリーヌ・詰めもの入りの一粒チョコレート)」を創り出しました。ベルギーで生まれた、モールドで型どったシェルにプラリネやクリームを詰めたチョコレートは、世界中で人気があります。1926年にゴディバの前身であるショコラティエ・ドラップスが誕生し、1945年にブランド名をゴディバにします。ゴディバは、高い品質にこだわった美味しいチョコレートを、季節ごとに優雅なパッケージで彩り、チョコレートをギフトにふさわしい芸術的なものにしました。

チョコレートジャーナリスト
市川 歩美

< 参考資料 >
「チョコレートの歴史」マイケル・D・コウ、ソフィー・D・コウ
「チョコレートの文化誌」八杉佳穂
「ショコラの言葉」アラン・デュカス